風越学園の設立が楽しみである

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昨日は苫野一徳さんが「未来の教室」とEdTech 研究会で発表。

「自由の相互承認」「個別化」「協同化」「プロジェクト化」とフルスペックを20分で話すという超難題にチャレンジ。
「本を読んでください」と言いたいところを丁寧に解説。

僕は理解しているつもりなので、わかっていることを聞きとてもわかりやすかったけど、初めて聞く人には難度は高かったかな。でも伝えたいことは伝わったと思う。少なくとも「自由の相互承認」は。

そして、あらためて思ったことは「自由の相互承認」と国際バカロレアの理念は親和性があるということ。

会議の前に、苫野さんと少し話せたこと、駅まで、風越学園設立準備の中心メンバーである本城慎之介さん、岩瀬直樹さんと話ながら帰ったこと。
風越学園のことを考える時間でもありました。

風越学園は苫野さんにとっては実践の場。
充実した教育がなされるのではないかと期待しています。

軽井沢風越学園設立準備財団
http://kazakoshi.jp/

人生100年時代における人材流動性を高める取り組みについての提言

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1月から議論して3月に取りまとめた「人生100年時代における人材流動性を高める取り組みについての提言」が公開されました。

30代、40代は必読です。
みなさんのことです。

50代は手遅れ世代かな。

 

人生100年時代における人材流動性を高める取り組みについての提言

https://www.koudojinzai.com/single-post/teigen180501

 

自分を成長させる刺激はどこにあるか

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「教科の勉強は自分でできます。授業では刺激をください」

 

東大合格者が多い有名進学校の生徒が学期始めに教員に注文をつけた。

 

高校の授業をペースメーカーに、わからないことは先生に質問すればいい。参考書や大学入試対策問題集をインターネットでどこにいても手にできる。予備校レベルの講座もネットで配信される。

教科の勉強はどこにいても自分でなんとかなりそうだ。

 

さて、問題は刺激だ。どうやって手にするか?

 

自然の中からの刺激、素朴な刺激。

都会にはない刺激が、島や山間部にはある。

 

地域みらい留学

https://c-mirai.jp/

 

腕時計と手帳

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この本を読み終えた。

 

人生を面白くする 本物の教養 (幻冬舎新書)

https://amzn.to/2IV3oag

 

出口治明学長は手帳も腕時計も持ち歩かないそうだ。

 

僕もAppleWatch を手にするまで長い間腕時計はしなかった。僕も腕時計を持つことを敢えてやめたのだ。その時の開放感は忘れられない。だからいまAppleWatch を身につけていてもほとんど時間を気にしない。気にしない方が幸せなのだ。ときたま分刻みの予定になるが、それでも体内時計を信じることが多い。だいたいうまくいく。  

 

手帳も若い頃は持たなかった。持たなくても覚えていたから。

最近はダメですね。

覚えきれない。

でもいまはほとんどがクラウド

手帳よりもノート。

そのノートもiPad に置き換わった。

それでもスケジュールは、夜寝る前に確認して朝起きたときには忘れているのでもう一度確認する程度。

できる限り気にしないようにしています。  

 

腕時計をつけなくなったときの開放感は忘れられないし、そのおかげでいまは比較的のんびりと暮らしています。

マネジャーとプレイヤー

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マネジャーはプレイヤーにはなれない、なってはいけない。

マネジャーは常に誰がプレイヤーかを忘れてはいけない。マネジャーは常にプレイヤーが心地よくプレイすることを支える存在である。

だから『学び合い』ではプレイヤーは生徒たちで、教員はマネジャー。

例えば「教職協働」と最近よく言われるがその時のプレイヤーは誰なのか。
職員でも教員でもない。プレイヤーは学生等だ。教職協働は職員がプレイヤーになることではない。教員が職員とともにマネジャーになるだけのことだ。

「小さな学校」

http://www.meti.go.jp/committee/kenkyukai/mirainokyositu/pdf/002_06_00.pdf


http://www.meti.go.jp/committee/kenkyukai/mirainokyositu/pdf/002_06_00.pdf

 

「大きな国家」「小さな国家」の議論があるように、「大きな学校」「小さな学校」の議論があってもいい。

いま、学校の機能はドンドンと膨らんでいる。社会や家庭の学校依存は強まるばかりだ。
その一方で、教員の働き方改革を求められている。EdTech が導入されて、学び方が変わったときに教員の役割は変わるはずだ。
これまでの学習進度は、教科書をすべて終わらせないといけない教員のためにあったが、学習教材がアダプティブになったときに学習者の学習進度は個別化する。そのときに、学校の授業はどうなるのだろうか。

いまこそ学校の機能を見直すときだ。

学校が持つ機能をとことん小さくしてみる。

そのときに、これまでの「読み書きそろばん」はどのように置き換わるべきなのかを議論しなくてはならない。
従来の「読み書きそろばん」はすべてクラウドで処理されてしまう。クラウドネイティブにおける「読み書きそろばん」はなんなのだろうか。

「小さな学校」を、EdTech が本格的に導入される前に、先回りして、議論したい。