春の訪れ

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今日も寒い。
昨晩、帰宅したときは外気温2℃。
とても4月をも変えようとしている陽気とは思えない。

それでも春がやってくるとざわざわする。
寒くてもざわざわするから不思議なものだ。

秋もざわざわする。
夕焼けを見るとざわざわする。

冬は冬眠しているからざわざわすることはない。
夏は暑すぎてざわつくどころではない。

桜の蕾はまだまだカタいが少しずつ開き始めている。
今年も桜が綺麗な季節がやってくる。

桜の花を見ると、なにか新しいことが始まる予感でいっぱいだ。
今年は何が始まるのだろうか。
楽しみだ。

また大学に関わってみようと思う

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21世紀を目前に「短大は使命を終えた」とある元文部官僚が言った。
その短大に変わる役割は果たして大学だったのだろうか。

いまや大学は全入。
ちゃんと「無選抜」といえないのが物事を悪くしている。
さらに言うと、高校の教育の目的が入試で歪められたというか歪めたというか。そんな中で、全入であることを高校はうまく使えないでいるように思う。

高校生って大学に行けばそれで良いのかな。将来に対する不安はないのか。

専門職大学ができると様子は変わると期待しているが、定着までにはまだ時間がかかるだろう。勉強に面白さを感じないのであればそれまでは良質な専門学校に行くべきだと思うんだよなぁ。
大学に勤めた時に専門学校の人たちと付き合っていたけど、ちゃんと育ててくれるところはあるし、中途半端に大学に進学するより余程学ぶことが多い生徒がいるはずだ。

それに、いつも批判しているように大学入試も学習指導要領も中下位層への目配りはまったくないから、まだまだ良くはならない。

ただ時代はどんどん悪くなるからなぁ、この層には。
職業選択だけではない、キャリア教育が望まれるのだが。
そして、短大や高校の商業科や工業科をなくしたツケが回ってくるのだろうな、業界全般に。
総合学科への認知も足りないし。

最近、大学から離れているから、また少し、規模が小さかったり学力中下位層を対象にしたりしている大学に関わってみようと思う。


学力上位層はそれはそれで課題が多いが、中位層は目配りされていないから対応が遅れている。
なんとかしたい。

大学はどこに進むのか。

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大学が潰れる、それは学生募集の困難によるものが主要因となる。
それは変わらないのだが、一時はこれにファイナンスの問題が相俟って経営が不安定になると言われた。あるいは地方では少子化が要因になって学生募集がうまくいかず経営が破綻するとも言われた。

ところが、これにAIの進化による職業の変化が加わったり、長引く不況で地方から都市部に学生がやってこなくなったりといったことが加わると、危ない大学の要件が変わってくるのではないだろうか。

いずれにせよ、私立大学の多くは人文社会科学系学部が中心で学生からの収入に頼るところが大きい。受験生も入学後の勉強の気楽さと就職はどうにかなるだろうという根拠のない期待感で、人文社会科学系に進学してきた。特にこうした進学者の中には、高校時代に数学から逃げたり数学の勉強をやめたりした人が多い。

さて、若者の未来を考えたときに大学はいまのままで良いのだろうか。
大学はいま何を変えるべきなのか。

AbemaPrime に出演した

3月1日にAbemaPrime に出演した。

生放送のゲストコメンテーターの難しいところは、キャスターの質問に合わせつつスタッフが用意した筋書きやフリップに合わせて、端的に話さないといけないところ。

極論になりがちだけれども、短く本質を語らないといけない。
こちらは用意された内容を台本に合わせて極力盛り込まないといけない。

この2点において難しいですね。
冒頭の「そもそも」とまとめの「こういうことなんです」は外せないですから。

途中で、レギュラーのみなさんの質問に即応するのは別に難しくないです。そこには筋がないので、知っていることや自分の意見を話せばいい。自由度があるので楽。

 

その記事がヤフーニュースに掲載された。

 

 トップ層はもう東大を目指さない!? 採用高校が続々「国際バカロレア」とは

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170302-00010003-abemav-soci

定年ゴジラの街にあるファミレス

『定年ゴジラ』(重松清)の街。

重松清さんも住んでいた街。

その街のファミレスのランチタイム。

高齢者でいっぱい。

この街からは、総合大学へのバスが出ているが学生は見当たらない。

三つも四つもの高齢者のグループがやって来る。

 

『定年ゴジラ』が書かれて、早20年近くになる。

当時の定年者は既に80歳近いはずだ。

20年経っても、若い高齢者がファミレスに集う街である。